連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(2)イベサー・ギャルサーの構造


2019年4月17日(水)に開催した、連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 第1回」の記録を、4回にわたって紹介しています。

ここからは、ゲストのお二人にうかがったお話をお伝えしていきます。

110626_164523_ed_ed_ed

古田 奈々恵/Nanae Furuta

エンタテインメント企業勤務。1998年、青山学院高等部入学。学生時代は渋谷を拠点とし、日本で一番メディアに取り上げられたギャルサークル「Angeleek」の代表を務め、数々の学生イベント運営する。現在はエンタテインメント企業で働く一方、世界の国々を巡っている(現在66ヵ国達成、100ヵ国 制覇が目標)。
Instagram:frt7a

arai-san

荒井悠介/Yusuke Arai

一橋大学社会学研究科特別研究員。大学時代、渋谷でトップのイベ ントサークル「ive.」で代表を務める。大学卒業後、 慶應義塾大学大学院へ進学し、「ギャル・ギャル男文化」を研究。 修士論文を元に著書『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社、2009年)を刊行。慶應義塾大学SFC研究所上席所員、日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。 ギャルの憧れの学校BLEAにて教育に関わり、明星大学非常勤講師などを務める。

■1分でも遅刻すると罰金が発生するギャルサー

久保友香(以下、久保) ここからお二人にもお話に加わっていただきます。お二人はどれくらいからの付き合いなのでしょうか。

荒井悠介(以下、荒井)2001、2年位からですね。サークル同士が系列と呼ばれる同じグループでしたので、サークルとしても、個人としても仲良くしていました。

久保 奈々恵さんはまさにストリート系雑誌に影響を受けたということですね。

古田奈々恵(以下、古田) はい。私はもともと、すごく真面目な東京の国立の中学校に通っていて、渋谷と無縁の生活を送っていたのですが『ストニュー!』を読んで衝撃を受けました。そこで、誌面上の「イケてる高校(共学)ランキング」で1位の「青山学院高等部(渋谷)(以下、青学)」を知り、青学に進学してギャルの道を進もうと決めました。

久保 入ろうと思って入れちゃうところがすごいですよね(笑)。それから渋谷に毎日通われたのですね。

古田 はい。当時まだサークル自体は無かったのですが、マルキュー(SHIBUYA109)の前にイケてる人達がたむろしていて。そこからセンター街にかけて、イケてる人がイケてる人をよくナンパしていました。

久保 渋谷に毎日行って何をしていたのですか?

古田 「どうやったらイケてる女子高生になれるだろう」と毎日人間観察をしていました。真面目な学校から出てきたので、マルキューの階段から道行く女子高生を眺めては、研究して、真似して、ということ繰り返していました。

久保 お買い物も渋谷ですか?

古田 はい、マルキューでしていました。当時1997〜98年は綺麗めファッションが流行っていて、『JAYRO(ジャイロ)』や『CECIL McBEE(セシルマクビー)』のロングコートにベロアというスタイルが人気でした。私も中学生の終わりから高校生にかけてはそのようなファッションをしていました。

久保 『ストニュー!』の世界もそういう感じでしたよね。

古田 そうですね。ブランドものとスーツの高校生が出てきていた時代でした。

久保 私が高校生だった頃から、慶應や青学などの大学附属校に通っている渋谷の有名な高校生達は、バッグはブランドものを持っていました。その後は、もう少しカジュアルめになっていきますよね。

古田 当時、『ランキング大好き』(2000年『Ranzuki』と改名)を参考にしていたのですが、サーファー系ファッションがよく取り上げられ、厚底サンダルや「goro’s(ゴローズ)」系のアクセサリーが流行っていました。『egg』が出始めた頃には「ROXY(ロキシー)」ブームがあったりしました。

久保 当時のファッションリーダーはどのような人だったのですか?

古田 『egg』モデルの福永花子さんらが当時のカリスマでした。押切もえさんも当時はガングロのコギャルでシャネラーで、私は押切もえさんを真似して、彼女のようなスーパー女子高生になることが目標でした。

久保 そこから「サークル」という存在は、どのように誕生したのですか?

荒井 まず、若者のダンスパーティー文化というのは、戦後から見ても、1950年代の『太陽の季節』(石原慎太郎著)の頃から存在しています。今回のお話にでてくる、「イベサー」と直接結びつくのは、大学生のダンスイベントを行う、インカレ系イベントサークルと、チーマーと呼ばれる存在で、これらの文化が融合する中で「イベサー」、後に「サークル」と呼ばれる存在は誕生しました。

大学生がディスコを借り切ってイベントを行うインカレ系イベントサークルは、日本のバブル経済以前から存在していました。そして、そんな大学生の先輩たちの真似をして、大学付属高校の高校生たちがパーティーを行う状況が1980年代から1990年代中ごろまで見られました。しかし、インカレ系のイベントサークルは、バブル経済がはじけ企業が大きな協賛金を付けなくなったりする中、失速します。また、チーマーもその存在が周知されるとともに、当初の大学付属高校をはじめとした高偏差値高校主体のものから、徐々に、不良系の人たちが混ざってきて、不良文化の色合いが濃くなってきます。彼らは、渋谷センター街などの繁華街にたむろし、暴力事件や「お化けパーティ」と呼ばれる実際には開催されないパーティのチケットを販売するような事件が起こし、社会問題としても取り上げられました。そのような背景とともに、いわゆる良い学校の学生は離れていき、チームに所属する若者も減少していきました。

こうした状況の中、1995年頃から「チーマー」を引退したような人たちが大学生になり、彼らは大学でイベントサークルをはじめます。既存のインカレ系イベントサークルの文化の中に、チーマーの不良文化を引き継いだイベントサークルが出てくるわけです。このチーマーの不良文化を引き継いだイベントサークルが「イベサー」です。彼らは外見の派手さ不良っぽさに加え、繁華街にたむろし、「ケツモチ」という暴力団と交渉できる人間を自分たちのバックにつけるという、特徴を持つようになります。そして、スーパーフリーのような既存のインカレ系イベントサークルとは距離をおくようになり、「イベサー界」と呼ばれる独自のグループを作るようになりました、これが大学生の「イベサー」ですね。そして、「イベサー」の中でも女性のみで構成される集団を「ギャルサー」と呼びます。

高校生主体の「イベサー」も1990年代中ごろから作られます、これらの「イベサー」は、当初はチーマー系大学生主体の「イベサー」の下部団体が多かったのですが、97年位にはそれとは異なる経緯で作られる高校生主体のパーティーグループも出てきました。先ほどお二人が挙げてくださった、『ストニュー!』などには、当初パーティー「チーム」として取り上げられていたんですが、雑誌に出るには、ちょっと「チーム」はイメージ的によろしくない、ということを感じて、イベントサークルと名乗りだしたグループもあるようです。このように、「チーム」ではなく「サークル」という名前になるにしたがい、リスクを恐れて「チーム」からは距離を置いていた付属高校や高偏差値校の子たちも、再び心理的な抵抗をあまり持たずに加入するようになります。この高校生サークルが、『ストニュー!』などでも取り上げられる中、高校生のサークルも流行しました。そして、高校生サークルという名称が普及し、流行するにしたがい、チームにいた人間が高校生サークルに移動することや、チームのメンバーが主体の高校生サークルも出てきます。そのような中、ケツモチをつけるグループも生まれ、「イベサー界」の中に、重なり合い混ざり合うようになります。この「イベサー界」に含まれるサークルを、「イベサー」と呼んでいたのですが、それが徐々に「サークル」と呼ばれるようになっていきました。

久保 なるほど。

荒井 ちなみに、僕は「東京」を特殊な場所だと思っていて、「東京」の特殊性は意識する必要があるかと思います。誤解を生まないように、悪いことをする若者は様々であるということを予めお伝えいたします。ただ、ざっくりとお伝えすると、他の地域だとやんちゃなこと、悪いことをしている若者の中心は、家庭の経済状況があまり豊かではなく、学歴もあまり高くはないといった、社会的な条件に恵まれていない若者や、地域社会に根付いた生き方を選択するいわゆる「ヤンキー」的な若者が多いと認識されていると思います。ですが、東京には「高学歴で裕福な家庭の若者がオシャレしてやんちゃをする」という文化が根付いているのです。先ほど『太陽の季節』を挙げましたが、他の地域で慶應や青学クラスの偏差値の人が派手な格好をして悪いことをしていたら「なんだあいつは」と思われることも、東京の都心だとわりと受け入れられる余地があります。それは、東京では高学歴の若者不良文化や、そのコミュニティが形を変えつつも脈々と続いているということが背景にあるからかもしれません。

久保 東京の良い学校に通う高校生のコミュニティ自体は、デジタルコミュニケーションが普及する前からあったのですね。奈々恵さんはどうしてサークルに入ることになったのですか?

古田 私は「ギャルサーの雰囲気を見たい」と言って、友達に「ミーティングだよー」と連れられて、センター街の「ファッキン(ファーストキッチン)」に誘われて行きました。そこで紙を渡されて住所と名前、電話番号、誓約書を書かされました。そこへ行った時点で入会からは逃れられなさそうだったので、発足してまだ1年ほどの『Angeleek』に強制的に入らされました。

久保 『Angeleek』は、会社のようにシステムがしっかりと決まっていたとか。

古田 はい。「ギャルサー」といいますと、緩くて楽しそうなイメージがあると思いますが、『Angeleek』は会社なのですよね。上下関係が本当に厳しくて、会社に入る前に社会を習っていたようなものです。一つ上の先輩からの命令は絶対で、「ノー」とは言えない。渋谷公会堂に集まっていたのですが、私の時は遅刻したら300円の罰金が課せられていました。

一同 (笑)。

古田 1分でも遅刻すると「財布出して?」と300円を徴収。お金はもちろんサークルを運営する費用に充てられます。その他にも、チャラチャラした出会いを徹底して禁止していました。キャバクラ以上のことをしたら即脱退。それくらい厳しい縦社会のコミュニティでした。

荒井 『Angeleek』は強めで激しい人たちでしたが、だいぶ厳しかったのを僕も覚えてます(笑)でも、軽くはなくって、性的な面での禁欲性があるからこそ、イケてるんです。『Angeleek』がその厳しい規律で、ブランドをきちんと守ってくださったのは、系列代表としても誇らしかったです。

→次へ


1 2

page top