連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(3)「盛り」という言葉が生まれた背景


2019年4月17日(水)に開催した、連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 第1回」の記録を、4回にわたって紹介しています。ゲストの古田奈々恵さん、荒井悠介さんにお話をうかがいました(プロフィール)。

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■ギャルの努力から「盛り」は生まれた

久保友香(以下、久保) 奈々恵さんはこのパンフレットで、なぜ「盛り」という言葉を使ったのでしょうか。

古田奈々恵(以下、古田) プリクラというのは、一人で「盛る」ことも大事ですけれども、やはり「サークルとして盛れてる」ということが『Angeleek』のコンセプトでもあり、重要視されていました。私はプリクラを集める役割でしたので、皆が「奈々恵さん、プリクラ撮りました!」と持ってきました。その時、盛れてるプリクラは受け取るのですが、盛れていなかったらその場で捨てます(笑)。

一同 (笑)。

古田 盛れてるプリクラを撮るまでは撮り直しをするのです。私も8回くらい撮り直ししたりしましたが、当時のプリクラは1回400円でしたので、3,200円かかってますね。結構な金額がかかるです。こういうわけで、盛れているプリクラを撮るまで苦労して努力した自分の渾身の1枚なので「盛りプリ」と呼びました。

久保 なるほど。中には、何度も撮っても盛れない方もいるわけですよね。

古田 はい。そういう子は一緒に撮りに行ったり、その場で髪の毛を巻いてあげたり、お化粧も工夫したりして盛れるまで付き合います。お金は出さないですが(笑)。

久保 皆で協力し合ってレベルを上げていくということですね。

古田 はい。一人だけが盛れていてもダメですので、やはりサークルとして盛れてることが条件です。パンフレットの制作も、全員のプリクラを盛りきるまでは締め切りを延ばしてでも終わらせないという感じでしたね。

久保 盛りきるまで(笑)。

古田 何故かといいますと、『Angeleek』は、日本で一番のギャルサーという点に魅力を感じていただき、協賛金をいただいて活動をしていました。ギャルとして、クオリティーを保つためにも「盛り」を条件の一つにしておりました。その中で、プリクラは唯一外に出る媒体ですので、必ず全員の一番いい状態で撮ることを徹底したことが「盛り」の始まりなのかなと思います。

久保 なるほど。パンフレットの素材ではプリクラを結構使っていらっしゃいますね。学生でも手に入れられる身近な機械を使いこなしているということも面白いです。

古田 はい。表紙も全てプリクラで撮っておりまして。当時のプリクラですので、解像度は低く、今ほど技術もないため、それほど顔が盛れるわけではありません。結局、機械の技術というよりは自分たちのメイクの技術で「盛る」といった感じでした。

荒井悠介(以下、荒井) これは本当にさすがだと思います。

久保 ここでプリクラの歴史に触れると、最初のプリクラである『プリント倶楽部」が発売したのが1995年、私はちょうど高校生でした。基本的にデジタル画像処理は入っていないので、私はこの頃を「ベタ撮り期」と呼んでいます。1998年頃には、オムロンの『アートマジック』を始め、デジタル画像処理が入り始めます。顔認識技術も実は入っているのですが、パーツごとの加工よりも、全体的に髪や肌の色を変えたりなどが中心でした。私はこの頃を「美肌・ツヤ髪期」と呼んでいます。その後、奈々恵さんも撮っていらした日立ソフトの『劇的美写」が登場します。この機械は、プロ用のストロボが焚かれるようになったのが画期的だったのですが、それによりかなり肌が白くなってしまうのですよね。

古田 ギャルの大敵です(笑)。

久保 そうだったのですね(笑)。というように、必ずしも皆に好まれていたわけではないようですが、かなり綺麗に写ると話題になりました。そこで、ストロボが焚かれることも計算してお化粧をしていたのですよね。

古田 はい。なので、余計に日サロに通わなくてはならなくなりました(笑)。

久保 ストロボに負けないよう、黒くならないといけなかったわけですね(笑)。パンフレットで使うためのプリクラ写真では、何を以って「盛れてる」と判断していたのですか?

古田 「ギャルとして品がありつつも強めである」ことが条件でした。ギャルの中でも『ALBA(ALBA ROSA)』系やショップ店員系などジャンルは色々あります。中途半端なギャルである「パギャル」が一番ダメです。例えば、髪の毛は巻くのか、すごく真っ直ぐストレートにするのか。お化粧もB系なのかギャル系なのか。ちゃんと極めた状態で「盛る」ことを求めていました。「自分の信念を貫いて持ってきてください」ということです。

久保 どちらの方向に向かってもいいわけですね、信念さえ貫いていれば。まだ画像処理に頼れない時代であり、メイクの技術で盛っていたということでしたが、具体的にどういう努力や工夫をされていたのですか?

古田 例えば、今日みたいに鼻にハイライトをつけて凹凸をしっかりさせていました。当時は目のアイラインをマッキーとかで描いていました。それでも白飛びしてしまうのですが。プリクラを撮るために、お金と労力をかけてから、プリ機に挑んでいました。

久保 なるほど。そうすると、プリクラの顔は、リアルの顔とはだいぶ違うということになりますね。

古田 そうですね、実際に見たほうが怖いかもしれないですね。プリクラのほうが若干やんわりしていると思います。

久保 現実よりも、写真の上のビジュアルに重きを置いて、頑張っていたのですね。しかしそうすると、リアルとバーチャルに差が表れますが、それはどう思われていましたか?

古田 そうですね。例えば大きな合同イベント(数十サークルが集まって行うイベント)の主催者は、次のイベントの代表を決める選考会の時にパンフレットを見て「この子可愛い!次の代表にしよう」と決めたりします。そのため、就活でのエントリーシートのように、その人の目に留まらないと次に進まない。今の時代もマッチングアプリとかでまず最初の写真が良くないと出会うに至りません。最初の0を1にするところで写真を「盛る」ということは重要な工程なのです。実際に会った時に「写真と違いますね」と思われるかもしれませんが、そこは人柄や他の部分で差を埋めていけばいいかなと私は思っております。

久保 会わないことには人柄が伝わらないから、会う前に見せる写真では、その部分を埋めておかないといけないわけですね。奈々恵さんより少し年下の方にも話を聞いたのですが、その方の場合は校則で髪を茶色くできなかったので、実際には派手にできないけど、『Angeleek』の方々に憧れて、せめてプリクラでは派手になりたいので、「盛り」を一生懸命やっていたと言っていました。校則のせいで、リアルに理想のビジュアルをできない子は数多くいますので、そういう中で「盛り」が広がっていったのではないかと、私は考えているのです。パンフレットはどのくらいの数を配っていたのですか?

古田 1,000〜3,000部とかですかね。それで、3,000人の方々が自分の友だちにも見せたりしていました。

久保 それだけ多くの人の目に触れるわけですよね。今でこそインターネットを使って、一般の女の子の顔が多くの人に見られることはあります。しかしそれ以前は、芸能人やストリート系雑誌に取り上げられるような特別な子以外、普通の学生の顔が多くの人に広まることなど無かったので、ご自身達で自費出版してそういうステージを作ったのがすごいなと思います。まさにインターネットみたいなことが、リアルに起こっていたということですよね。

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