連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(1)《MORI1.0》とは?


■「盛り」とメディアの技術の関係

久保 本の主旨でもあるのですが、「盛り」の文化には「メディアの技術」が大きく関わっていると、私は考えています。どういうことかと言いますと、メディアの技術が女の子たちのコミュニケーションを司り、そこで形成されるコミュニティが「盛り」の文化を作るという構造です。

ゲストのお二人がサークル活動をしていた時期の少し前に、私は高校生だったのですが、その頃にもコミュニティがありました。「サークル」のお話の前に、そこにも焦点を当ててみます。私が高校生だった1994〜95年あたりは、ポケベルが高校生に一気に普及した時でした。その頃、私はファッション誌の『non-no』(集英社)を読み、流行はそこに全部載っていると信じていました。しかし、ある時期からそこに載っていないような格好をする女の子が、クラスにチラホラと現れたのです。髪の色を抜き、日焼けサロンで肌を黒く焼いて、何が起こっているのだろうと思いました。2018年公開した『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(大根仁監督)で描かれていた、髪を茶色くして、制服を着崩し、ルーズソックスを履くというスタイルを思い浮かべていただけると、わかりやすいかもしれません。私が見たものは、それに比較的近いです。当時そういう格好をしていた友達に、どうしてそのようなスタイルをしていたのかと理由を聞くと、「渋谷のイケてる華やかな女の子たちグループがしていたから」と言いました。そこで、そのグループが一体何者なのかを探りたくなり、その中にいた人たちに話を聞いてみました。

すると「イケてる格好をしているかどうかで、コミュニティの中の人かどうかを見分けていた」という応えがありました。雑誌上の流行とは違う格好をしていた理由として、なるほどと思いました。一見、みんな割と似たような格好に見えていたのですが、似たような「イケてる」格好をすることで、仲間であることを示していたのです。そしてその「イケてる」格好は常に変化していたようです。誰かがSHIBUYA109で見つけてきた新しい物を身に付け、小さな差異を作り、それが「イケてる」ということになると、皆が一斉にそれを真似するようなことがあったと言います。「イケてる」の基準はそうやって小さく変化し続けていたようです。こうして、学校の枠を超えた仲間たちが、街でビジュアルを共有することで、コミュニティを形成するようになっていたことがわかりました。

またそこには「メディアの技術」が影響しています。その頃、ポケベルが普及していたと話しましたが、それまでは、若者のコミュニティというのは基本的には学校内に閉じていたと思います。どうしても学校外の人と仲良くしたければ、学校をサボってどこかの溜まり場に行くようなこともありました。きちんと学校に通う子供が、外との繋がりを持ち続けることは容易でなかったのが、ポケベルの登場で変わりました。昼間はポケベルで連絡を取り、放課後になると街に集まる、学校の枠を超えたコミュニティが、その頃、東京の各街に形成されました。

そして同じ頃、印刷技術のデジタル化も起こりました。それにより誕生したのが「プリクラ」です。プリクラは、同じ写真のシールを複数枚出力するので、それを一緒に撮った友達と分配します。その1枚をプリ帳に貼り、残りはまた別の友達と交換する。プリ帳には、交換して手に入れた友達のプリクラも貼ります。そしてそのプリ帳を持ち歩き、また別の友達と見せ合います。そうすると「友達の友達の友達」くらいの、実際に会ったことのない人にまで自分の顔が知られるという、初めての現象が起こります。「○○学校の○○さんが可愛い」などの噂が立ち、街で有名な子などが出てきて、その子達が影響力を持つようにもなりました。こうして、雑誌が発信する情報よりも、有名な子が発信する情報が、流行を作るようなことが起こりました。

1995年前後になると「ストリート系雑誌」が登場します。1994年12月『東京ストリートニュース!』(学研プラス)(以下、『ストニュー!』)から始まり、翌年に『Cawaii!』(主婦の友社)、そして『egg』(ミリオン出版)が出てきます。『ストニュー!』は渋谷に限らず、東京近郊の各街の有名人やその噂話を誌面に取り上げる一方、『Cawaii!』『egg』は渋谷が中心でした。そして、当時をよく知る私の友達が、雑誌によって広まったことで「外見は「イケてる」のに内面は「イケてない」人たちが出てきてしまい、友達かどうか選別できなくなってしまったのでグループは消滅した」と嘆いていたのですが、そのように「ストリート系雑誌」は若者達に新たな変化を引き起こしました。

(2)イベサー・ギャルサーの構造に続く


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