女子高生を惹きつけるプリクラの技術経営 ~第2回女性企画者と男性技術者

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 1995年に誕生し、17年以上もの間、その時々の女子高生から支持され続けてきたプリクラ機。プリクラ機の中核にあるのは、ユーザの理想とするイメージを作る「技術」。プリクラメーカーはどのようにして、女子高生の理想を「技術」に変えてきたのか?プリクラメーカーでトップシェアを持つフリュー株式会社への取材から明らかになったことを中心に、全4回にわたってお送りしている。

 


 
第2回は、フリューでプリクラ事業を統括する新本祐一氏へのインタビューを紹介する。フリューの流れを変えた出来事について、お話をうかがった。

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フリュー株式会社

常務取締役/業務用ゲーム事業部事業部長

新本祐一氏

 


 

■ 男性だけのプリクラ開発

現在、フリュー株式会社(以下、フリュー)で、プリクラ事業部門の統括をする新本氏は、元はオムロンの研究者であった。

「長い間、オムロン中央研究所で、光センサを用いた様々なシステムの研究開発に携わっていた。しかし、もっとユーザに直接喜んでもらえる技術の開発に関わりたいと思い、エンタテインメント事業部への移動を希望した。」

新本氏がエンタテインメント事業部に移動したのは2002年のこと。その後すぐの2003年、ナムコから初めての顔認識機能を持つプリクラが生産されて大ヒットするが、オムロンからは大きなヒット商品は生まれていなかった。

新本氏は移動直後からプリクラ機の企画を担当した。フリューのプリクラの開発は、企画部門と技術部門によって構成され、当時は機種ごとに、リーダーである企画者1人、技術者が複数つく、シンプルな体制だった。フリューでは、当時から今でも、新機種を1年に3回、春夏冬に発売する。新本氏は春発売の機種のリーダーを、その後、約3年間つとめた。当時のオムロンのプリクラ事業を振り返ってもらった。

「当時のプリクラの開発は、全て男性で行っていた。オムロンの企業文化を引き継いで、社員自体が技術系の男性ばかりだったので、プリクラに関わるのも必然とそうなっていた。技術者は、自慢の技術を詰め込んだ機械を作りがちになる。例えば、2005年に作った『ファンキーハイ』いう機械は、床の高さが変えられたり、撮影する時に風を吹かすことができたり、新しい機能をたくさんつけた機械だった。しかし売れなかった。2005年は、夏の機械も冬の機械の売上が悪く、このままでは会社がなくなるのではというくらいの危機になった。」

そこで新本氏は流れを変えるべく、担当した2006年春発売予定の『姫組』という機械では、企画開発の方法をそれまでと全く変えることに挑戦した。

「技術よりもコンセプトを大事にする方法を探った。それまでの企画開発は、まずバラック(仮に立てる機械)を作り、それをユーザに見せて意見をもらったら、一度壊して、再び改良したバラックを作り、またユーザ見せて、と作っては壊しを何度も繰り返して、最終形を作り上げていっていた。コンセプトは、作りながら決まっていくという感じだった。しかし『姫組』では、作る前にコンセプトを考え抜き、その過程ではユーザの意見ももらうが、コンセプトを決めて作り始めてからは、一切ユーザの意見は入れず、最終形まで作り上げることにした。機械に世界観を持たせたかった。結果的に『姫組』で、それまでの売上低迷を抜け出すことができた。この生産工程が、現在にも続いている。」

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