オンライン・アイデンティティのクリエーター 中川友里さん


4. よこならび文化への反発

工業社会より情報社会は、大きな組織で協調性ある人材よりも、独創的な発想や起業家精神を持つ人材が求められると言われる。しかし日本にはまだ、そういう人材が育つ土壌がないようだ。

「日本の“皆、同じじゃなくちゃダメ”というような感じが大嫌い。ちょっと人と違うことをすると、すぐに変な目で見られる。他の国のようにもっと個性を出せるようになったらいいのに。」

彼女は今、ネット上でも現実でも、多くの人の目を引く個性的なファッションを披露するが、日本のよこならび文化と戦ってきた過去がある。

「小学校の頃にマキシスカートがはやった時に、私は他の人が履いていないような、すごく鮮やかなオレンジの人魚のようなひらひらスカートを履いたんです。そうしたら、地元のの石川県の町では『何それ』と後ろ指差されて、その時はスカートを押し入れにしまってしまいました。」

彼女は最初、大学に進学せず、できるだけ早くファッションの専門的な知識などを身につけたいと考えていたが、ご両親の勧めで受験勉強にはげみ、大学の経済学部に進学した。

「大学に入るとみんなが地味でカジュアルな格好をしていたので、それに合わせました。その頃は、普通にサークルに入って、飲み会があって、毎日のように酔っ払って、ああ授業行きたくない、なんて言っていました。1、2年生の頃まではそんな感じでした。でも途中で、毎日こんなことをしていてもなんにも得ることないなと思っちゃったんです。」

そこで友人たちが就職活動をはじめる時期に、彼女は一人全く異なる活動を始める。

「その頃、雑誌のスナップ撮影に呼ばれて参加したらすごく面白くて、モデルの仕事をしたいと思いました。それで3年生までで卒業単位を全て取り終えて、4年生の1年間はまるまるモデルの仕事をやってみようと決めました。試しに1年間がむしゃらにやってみて、自分の伸び幅を知りたかった。大学生は時間がやまほどあるからそれを利用しない手はないと、4年生は最後のチャンスだと思いました。金融のゼミに入っていたんですが、指導教官の先生に『1年間がむしゃらにモデルに挑戦したいのでお願いします』と頼んで、温かく見てもらいました。その頃から、大学でも自分の好きな服を着るようになったので、キャンパスでは浮いていたようで、友人たちからは『ゆりちゃんがどんどんすごいことになっていく』なんて言われていたみたいです。」

今の日本の大学は、彼女が望むように、社会で独立して活動するためのノウハウは教えない。むしろ社会へ出るための猶予期間のようになっているが、それを逆手にとって、有効活用した。

「4年生の時は、誘われた仕事を全部こなしていました。地域のフリーペーパーやヘアサロンのモデルや、通販サイトもいくつもやっていました。でも地元の仕事だと地元の人にしか見られないし、ネットショップは10代をターゲットとしたものが多かったので、その世代にしか見られないので、できるだけ広く見られる媒体に出たかった。雑誌のスナップ撮影にも誘われれば全て参加して、そこから『S Cawaii』や『ViVi』『DECOLOG PAPER』などの読者モデルになって、東京での撮影にも参加しました。中には、当時流行りのギャルっぽい人達に馴染ませないといけない撮影もあって、歯がゆいこともありました。でもどんな仕事も売り込む材料になるからこなしました。だんだん仕事が増えていったので、大学卒業後、モデルの仕事のために上京しました。東京に出てきて、ウィッグのスターリッチさんや、ファッションブランドの『Lil Lilly』のモデルなどもやっています。」

 

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彼女は企業の指示通りにモデルもたくさんこなしてきたが、今では自分のイメージを形にするモデルの活動を増やしていっている。


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