連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(4)ギャルの美意識と「粋」

2020/10/10  

2019年4月17日(水)に開催した、連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 第1回」の記録を、4回にわたって紹介しています。ゲストの古田奈々恵さん、荒井悠介さんにお話をうかがいました(プロフィール)。

mori-no-biishiki-image4

■世界の果てにも「巻き髪」と「ヒール」

久保友香(以下、久保) お二人は当時のご友人達と旅行に行かれると聞きました。

荒井悠介(以下、荒井) はい、同じ系列の仲間で4人ほどの仲の良いグループがいて、もう十何年と日帰りで遊びに行っています。この「盛り」旅行の際にも、皆で研究するんです。どうしたら写真が盛れるかと。

古田奈々恵(以下、古田) 朝9時に集合して行きます。

久保 早いですね。どちらかというと夜に行動される方々だと思っていたのですが。

荒井 お酒も飲んだら顔が赤くなるし、顔もむくむのでほとんど飲みません。17時頃には解散します。

古田 日が沈むと同時に解散です。

荒井 時間が経つにつれ、肌がだんだん落ちてくるので、写真が盛れなくなってくるんですよ。だから、まず午前中のうちに写真を撮ります。

古田 あと、やはり午前中の光が一番盛れるので、写真も全部午前中に撮るようにしています。今回のこの講座の時間は一番盛れない時間なのですが。重力には逆らえないので、まだ耐えられる時間の内に写真を撮りきることが、この「盛り」旅のテーマでした。

荒井 こんな感じで「盛り」や物理に関して、勉強もしてるのです(笑)とりわけ奈々恵さんはとにかく徹底されるので、僕も毎回刺激をいただいています。今日は改めてその「盛り」へのこだわりについて詳しく教えてもらえるかと、楽しみにしてきました。

古田 喋りながらも、常に写真を360度撮り続けたりしています。大量の写真を撮って、後で見返して「ちょっと背肉がついたね」「姿勢が悪かったね」というのを研究し合う。もちろんちゃんと観光もしているのですけど、合間に「どうしたら盛れるか」を研究しながら旅をしています。

久保 とても面白い旅行ですね。奈々恵さんは海外にも頻繁にいらしていて、SNSに写真がアップされるのを私もいつも楽しみにしています。

古田 私は人物だけでなく風景と全て合わせて「盛り」だと思っています。旅行先の国ではその土地で一番豪華な場所に行くようにしていまして。七つ星ホテルなどを訪れ、泊まれるお金は決してないので、お茶したりその雰囲気を味わったりしています。

久保 現在55カ国にいらしているのですよね。どの国でも高級ホテルに行くという一つの基準があると文化比較ができて面白いですね。

古田 そうなのです。その国の物価もわかりますし。この前行ったブルネイの七つ星ホテルは、1泊2~3万位で泊まれたりします。そして、そこに滞在している人がどんな格好しているのかと人間観察をするのです。時間が経って場所が渋谷から世界に変わりました(笑)。

久保 なるほど(笑)。私も当時の渋谷に通っていた方々に色々お話を聞くことがあるのですが、みんな似たようなことは言います。昔はとにかく渋谷が一番だったから、そこを目指していた。でも今はもう渋谷に勢いがないし、かと言って日本に渋谷以上の街も無いから、世界に出て行くしかないと。けれど、世界のどこにどう出て行って良いのか、迷っている方が多いように思います。奈々恵さんの場合は、そこでまた次の目的をバシッと立てている所がすごいです。しかも、旅行先で綺麗にすることってすごく大変なことじゃないですか? 旅行では荷物も限られるので、私などはどうしても諦めてスニーカー1足で良いかなと思ってしまったりするのですが。

古田 青山に行くような格好で世界へ旅するというのが私の一つのコンセプトでして、世界の果てでも巻き髪とヒールで行くことを毎回欠かさずやっています。やはり写真は残るものですし。ウズベキスタンにも今日と同じような赤いドレスで行きました。

久保 確かに、旅行には時間もお金も多く使うので、それならば良い写真を残したいものですよね。写真も撮れないような格好で行くと、結局何も残らず、何も無かったことと同じようになっちゃいますから。

古田 そうそう。ギリシャのサントリーニ島に行ったときは、徒歩15分の距離を2時間かけて2,000枚くらい写真を撮りました(笑)。

久保 すごい(笑)。確かに、お写真を見ると、とても綺麗ですもんね。

古田 この時は、風景が白と青の世界でしたので、ピンクや赤の差し色を入れると映えるかなと。風景と対比する色を入れるか、もしくは風景と同化する色にするか。必ずそのどちらかにしています。

久保 予め「ここでこう撮ろう」というリサーチをされているのですか?

古田 はい、もちろん。その都市の風景写真を調べまして、行程表に「この街はこの服」「あの白い風景にはこの服で行く」というのを決めてから行きます。

久保 ロケハンして、その風景に合わせてビジョンを決めるということを、ネットを使って、お一人でこなしているわけですね。

古田 はい、自己満ですが。

久保 いえいえ。今だとインスタとかで公開されるとみんなで楽しめますからね。

荒井 奈々恵さんは、みんなで小旅行に行くときも分刻みでタイムテーブルを組んでくれるんですよ、「○時○分にこれに乗るんだ」とか「ここで写真撮る」とか。だから全部事前に計画が出来上がった上でやっていらっしゃる。

久保 写真も全て計算されて撮られているのですね。

荒井 はい。その時間だったら、ああいう写真が撮れるだろうとか全部計算して撮っています。

久保 雨の日はどうするのですか?

古田 雨の日は行かないですね(笑)。髪の巻きが取れるので。ただ、私の地元にお天気の神様が祀られている神社がありますので、そこでいつも「○月○日どこが晴れますように」と絵馬は書いています。なので、天気の神様には守られています。今、その神社には私の絵馬が3つくらい並んでいると思います(笑)。

一同 (笑)。

久保 風景と合わせて撮る写真は、どうやって撮っているのですか?

古田 現地の人が撮ってくれたり、タイマーを設定して走って撮ったりしています。

久保 以前、タイマーを使って撮られると聞いて、私もやってみたのですが全然うまくできないですよ。難しい。しかも、ヒールで走っているわけですよね?

古田 はい、1枚の写真を撮るために15分くらい苦労することもあります。

久保 そうなりますよね。「インスタ映え」に一生懸命な高校生にも、話を聞いているのですが、彼女たちも今はもう「他撮りが盛れる。自撮りはもうダサい」と言って、奈々恵さんのように人物だけなく、風景も含めた写真を撮るようになっています。他撮りで「キメ顔ではなくて自然体の自分を写したい」と。そうは言っても、うまく撮ってくれるカメラマンを連れていかれる子が付いている子などほとんどいなくて、その場にいる人にカメラを渡して適当に撮ってもらったりするようですが、なかなかうまくは撮ってくれません。それについて皆、悩んでいるようで「せっかくインスタ映えスポット行ったのにSNSに載せられる写真が撮れなかった」というような話も多く耳にするのですよ。

古田 私は写真を撮っていただく場合、その場所で「あの人良いカメラ持ってるな」というような人間観察をします。なので、写真のお願いをするのに数分かかることもあります。あとは、私から「良かったら写真撮ります」と言って、先に、様々な角度からカシャカシャ何枚も撮って、その後で、「同じように撮ってください」と。

久保 なるほど、コミュニケーション能力が問われますね。その辺は、これからのカメラの大きな課題だと考えています。ドローンなどの技術で解決できないかなど、勝手に色々考えています。なので、奈々恵さんがどのように試行錯誤されているのか、すごく興味深いのです。他にはどのようなことを意識していますか?

古田 海に行く場合、水着になることも多いですけど、最近は露出の少ない水着になりがちです。しかし、やはりギャルの魂としては、水着を派手にしたい。派手にすると、視線が案外、自分の身体ではなく、水着に集まります。さらに、帽子やヒールなどを使って、身体に視線がいかないよう分散させることをいつも心掛けています。同じように、柄に目をいかせるために、派手な服を着るようにも心掛けています。その他にも、日本人はどうしても仁王立ちになりがちなので、女性らしいカービーさを出すためにも、常にポーズでS字を意識したりしています。

久保 なるほど。見る人の視線をコントロールするって、視覚心理学ですね。そういう方法論はどうやって身につけていらっしゃるのですか?

古田 毎回1,000〜2,000枚撮っていれば、自分で見極められるようになっていくと思います。

→次へ

連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(3)「盛り」という言葉が生まれた背景

2020/10/10  

2019年4月17日(水)に開催した、連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 第1回」の記録を、4回にわたって紹介しています。ゲストの古田奈々恵さん、荒井悠介さんにお話をうかがいました(プロフィール)。

mori-no-biishiki-image3

■ギャルの努力から「盛り」は生まれた

久保友香(以下、久保) 奈々恵さんはこのパンフレットで、なぜ「盛り」という言葉を使ったのでしょうか。

古田奈々恵(以下、古田) プリクラというのは、一人で「盛る」ことも大事ですけれども、やはり「サークルとして盛れてる」ということが『Angeleek』のコンセプトでもあり、重要視されていました。私はプリクラを集める役割でしたので、皆が「奈々恵さん、プリクラ撮りました!」と持ってきました。その時、盛れてるプリクラは受け取るのですが、盛れていなかったらその場で捨てます(笑)。

一同 (笑)。

古田 盛れてるプリクラを撮るまでは撮り直しをするのです。私も8回くらい撮り直ししたりしましたが、当時のプリクラは1回400円でしたので、3,200円かかってますね。結構な金額がかかるです。こういうわけで、盛れているプリクラを撮るまで苦労して努力した自分の渾身の1枚なので「盛りプリ」と呼びました。

久保 なるほど。中には、何度も撮っても盛れない方もいるわけですよね。

古田 はい。そういう子は一緒に撮りに行ったり、その場で髪の毛を巻いてあげたり、お化粧も工夫したりして盛れるまで付き合います。お金は出さないですが(笑)。

久保 皆で協力し合ってレベルを上げていくということですね。

古田 はい。一人だけが盛れていてもダメですので、やはりサークルとして盛れてることが条件です。パンフレットの制作も、全員のプリクラを盛りきるまでは締め切りを延ばしてでも終わらせないという感じでしたね。

久保 盛りきるまで(笑)。

古田 何故かといいますと、『Angeleek』は、日本で一番のギャルサーという点に魅力を感じていただき、協賛金をいただいて活動をしていました。ギャルとして、クオリティーを保つためにも「盛り」を条件の一つにしておりました。その中で、プリクラは唯一外に出る媒体ですので、必ず全員の一番いい状態で撮ることを徹底したことが「盛り」の始まりなのかなと思います。

久保 なるほど。パンフレットの素材ではプリクラを結構使っていらっしゃいますね。学生でも手に入れられる身近な機械を使いこなしているということも面白いです。

古田 はい。表紙も全てプリクラで撮っておりまして。当時のプリクラですので、解像度は低く、今ほど技術もないため、それほど顔が盛れるわけではありません。結局、機械の技術というよりは自分たちのメイクの技術で「盛る」といった感じでした。

荒井悠介(以下、荒井) これは本当にさすがだと思います。

久保 ここでプリクラの歴史に触れると、最初のプリクラである『プリント倶楽部」が発売したのが1995年、私はちょうど高校生でした。基本的にデジタル画像処理は入っていないので、私はこの頃を「ベタ撮り期」と呼んでいます。1998年頃には、オムロンの『アートマジック』を始め、デジタル画像処理が入り始めます。顔認識技術も実は入っているのですが、パーツごとの加工よりも、全体的に髪や肌の色を変えたりなどが中心でした。私はこの頃を「美肌・ツヤ髪期」と呼んでいます。その後、奈々恵さんも撮っていらした日立ソフトの『劇的美写」が登場します。この機械は、プロ用のストロボが焚かれるようになったのが画期的だったのですが、それによりかなり肌が白くなってしまうのですよね。

古田 ギャルの大敵です(笑)。

久保 そうだったのですね(笑)。というように、必ずしも皆に好まれていたわけではないようですが、かなり綺麗に写ると話題になりました。そこで、ストロボが焚かれることも計算してお化粧をしていたのですよね。

古田 はい。なので、余計に日サロに通わなくてはならなくなりました(笑)。

久保 ストロボに負けないよう、黒くならないといけなかったわけですね(笑)。パンフレットで使うためのプリクラ写真では、何を以って「盛れてる」と判断していたのですか?

古田 「ギャルとして品がありつつも強めである」ことが条件でした。ギャルの中でも『ALBA(ALBA ROSA)』系やショップ店員系などジャンルは色々あります。中途半端なギャルである「パギャル」が一番ダメです。例えば、髪の毛は巻くのか、すごく真っ直ぐストレートにするのか。お化粧もB系なのかギャル系なのか。ちゃんと極めた状態で「盛る」ことを求めていました。「自分の信念を貫いて持ってきてください」ということです。

久保 どちらの方向に向かってもいいわけですね、信念さえ貫いていれば。まだ画像処理に頼れない時代であり、メイクの技術で盛っていたということでしたが、具体的にどういう努力や工夫をされていたのですか?

古田 例えば、今日みたいに鼻にハイライトをつけて凹凸をしっかりさせていました。当時は目のアイラインをマッキーとかで描いていました。それでも白飛びしてしまうのですが。プリクラを撮るために、お金と労力をかけてから、プリ機に挑んでいました。

久保 なるほど。そうすると、プリクラの顔は、リアルの顔とはだいぶ違うということになりますね。

古田 そうですね、実際に見たほうが怖いかもしれないですね。プリクラのほうが若干やんわりしていると思います。

久保 現実よりも、写真の上のビジュアルに重きを置いて、頑張っていたのですね。しかしそうすると、リアルとバーチャルに差が表れますが、それはどう思われていましたか?

古田 そうですね。例えば大きな合同イベント(数十サークルが集まって行うイベント)の主催者は、次のイベントの代表を決める選考会の時にパンフレットを見て「この子可愛い!次の代表にしよう」と決めたりします。そのため、就活でのエントリーシートのように、その人の目に留まらないと次に進まない。今の時代もマッチングアプリとかでまず最初の写真が良くないと出会うに至りません。最初の0を1にするところで写真を「盛る」ということは重要な工程なのです。実際に会った時に「写真と違いますね」と思われるかもしれませんが、そこは人柄や他の部分で差を埋めていけばいいかなと私は思っております。

久保 会わないことには人柄が伝わらないから、会う前に見せる写真では、その部分を埋めておかないといけないわけですね。奈々恵さんより少し年下の方にも話を聞いたのですが、その方の場合は校則で髪を茶色くできなかったので、実際には派手にできないけど、『Angeleek』の方々に憧れて、せめてプリクラでは派手になりたいので、「盛り」を一生懸命やっていたと言っていました。校則のせいで、リアルに理想のビジュアルをできない子は数多くいますので、そういう中で「盛り」が広がっていったのではないかと、私は考えているのです。パンフレットはどのくらいの数を配っていたのですか?

古田 1,000〜3,000部とかですかね。それで、3,000人の方々が自分の友だちにも見せたりしていました。

久保 それだけ多くの人の目に触れるわけですよね。今でこそインターネットを使って、一般の女の子の顔が多くの人に見られることはあります。しかしそれ以前は、芸能人やストリート系雑誌に取り上げられるような特別な子以外、普通の学生の顔が多くの人に広まることなど無かったので、ご自身達で自費出版してそういうステージを作ったのがすごいなと思います。まさにインターネットみたいなことが、リアルに起こっていたということですよね。

→次へ

連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(2)イベサー・ギャルサーの構造

2020/10/10  

2019年4月17日(水)に開催した、連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 第1回」の記録を、4回にわたって紹介しています。

ここからは、ゲストのお二人にうかがったお話をお伝えしていきます。

110626_164523_ed_ed_ed

古田 奈々恵/Nanae Furuta

エンタテインメント企業勤務。1998年、青山学院高等部入学。学生時代は渋谷を拠点とし、日本で一番メディアに取り上げられたギャルサークル「Angeleek」の代表を務め、数々の学生イベント運営する。現在はエンタテインメント企業で働く一方、世界の国々を巡っている(現在66ヵ国達成、100ヵ国 制覇が目標)。
Instagram:frt7a

arai-san

荒井悠介/Yusuke Arai

一橋大学社会学研究科特別研究員。大学時代、渋谷でトップのイベ ントサークル「ive.」で代表を務める。大学卒業後、 慶應義塾大学大学院へ進学し、「ギャル・ギャル男文化」を研究。 修士論文を元に著書『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社、2009年)を刊行。慶應義塾大学SFC研究所上席所員、日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。 ギャルの憧れの学校BLEAにて教育に関わり、明星大学非常勤講師などを務める。

■1分でも遅刻すると罰金が発生するギャルサー

久保友香(以下、久保) ここからお二人にもお話に加わっていただきます。お二人はどれくらいからの付き合いなのでしょうか。

荒井悠介(以下、荒井)2001、2年位からですね。サークル同士が系列と呼ばれる同じグループでしたので、サークルとしても、個人としても仲良くしていました。

久保 奈々恵さんはまさにストリート系雑誌に影響を受けたということですね。

古田奈々恵(以下、古田) はい。私はもともと、すごく真面目な東京の国立の中学校に通っていて、渋谷と無縁の生活を送っていたのですが『ストニュー!』を読んで衝撃を受けました。そこで、誌面上の「イケてる高校(共学)ランキング」で1位の「青山学院高等部(渋谷)(以下、青学)」を知り、青学に進学してギャルの道を進もうと決めました。

久保 入ろうと思って入れちゃうところがすごいですよね(笑)。それから渋谷に毎日通われたのですね。

古田 はい。当時まだサークル自体は無かったのですが、マルキュー(SHIBUYA109)の前にイケてる人達がたむろしていて。そこからセンター街にかけて、イケてる人がイケてる人をよくナンパしていました。

久保 渋谷に毎日行って何をしていたのですか?

古田 「どうやったらイケてる女子高生になれるだろう」と毎日人間観察をしていました。真面目な学校から出てきたので、マルキューの階段から道行く女子高生を眺めては、研究して、真似して、ということ繰り返していました。

久保 お買い物も渋谷ですか?

古田 はい、マルキューでしていました。当時1997〜98年は綺麗めファッションが流行っていて、『JAYRO(ジャイロ)』や『CECIL McBEE(セシルマクビー)』のロングコートにベロアというスタイルが人気でした。私も中学生の終わりから高校生にかけてはそのようなファッションをしていました。

久保 『ストニュー!』の世界もそういう感じでしたよね。

古田 そうですね。ブランドものとスーツの高校生が出てきていた時代でした。

久保 私が高校生だった頃から、慶應や青学などの大学附属校に通っている渋谷の有名な高校生達は、バッグはブランドものを持っていました。その後は、もう少しカジュアルめになっていきますよね。

古田 当時、『ランキング大好き』(2000年『Ranzuki』と改名)を参考にしていたのですが、サーファー系ファッションがよく取り上げられ、厚底サンダルや「goro’s(ゴローズ)」系のアクセサリーが流行っていました。『egg』が出始めた頃には「ROXY(ロキシー)」ブームがあったりしました。

久保 当時のファッションリーダーはどのような人だったのですか?

古田 『egg』モデルの福永花子さんらが当時のカリスマでした。押切もえさんも当時はガングロのコギャルでシャネラーで、私は押切もえさんを真似して、彼女のようなスーパー女子高生になることが目標でした。

久保 そこから「サークル」という存在は、どのように誕生したのですか?

荒井 まず、若者のダンスパーティー文化というのは、戦後から見ても、1950年代の『太陽の季節』(石原慎太郎著)の頃から存在しています。今回のお話にでてくる、「イベサー」と直接結びつくのは、大学生のダンスイベントを行う、インカレ系イベントサークルと、チーマーと呼ばれる存在で、これらの文化が融合する中で「イベサー」、後に「サークル」と呼ばれる存在は誕生しました。

大学生がディスコを借り切ってイベントを行うインカレ系イベントサークルは、日本のバブル経済以前から存在していました。そして、そんな大学生の先輩たちの真似をして、大学付属高校の高校生たちがパーティーを行う状況が1980年代から1990年代中ごろまで見られました。しかし、インカレ系のイベントサークルは、バブル経済がはじけ企業が大きな協賛金を付けなくなったりする中、失速します。また、チーマーもその存在が周知されるとともに、当初の大学付属高校をはじめとした高偏差値高校主体のものから、徐々に、不良系の人たちが混ざってきて、不良文化の色合いが濃くなってきます。彼らは、渋谷センター街などの繁華街にたむろし、暴力事件や「お化けパーティ」と呼ばれる実際には開催されないパーティのチケットを販売するような事件が起こし、社会問題としても取り上げられました。そのような背景とともに、いわゆる良い学校の学生は離れていき、チームに所属する若者も減少していきました。

こうした状況の中、1995年頃から「チーマー」を引退したような人たちが大学生になり、彼らは大学でイベントサークルをはじめます。既存のインカレ系イベントサークルの文化の中に、チーマーの不良文化を引き継いだイベントサークルが出てくるわけです。このチーマーの不良文化を引き継いだイベントサークルが「イベサー」です。彼らは外見の派手さ不良っぽさに加え、繁華街にたむろし、「ケツモチ」という暴力団と交渉できる人間を自分たちのバックにつけるという、特徴を持つようになります。そして、スーパーフリーのような既存のインカレ系イベントサークルとは距離をおくようになり、「イベサー界」と呼ばれる独自のグループを作るようになりました、これが大学生の「イベサー」ですね。そして、「イベサー」の中でも女性のみで構成される集団を「ギャルサー」と呼びます。

高校生主体の「イベサー」も1990年代中ごろから作られます、これらの「イベサー」は、当初はチーマー系大学生主体の「イベサー」の下部団体が多かったのですが、97年位にはそれとは異なる経緯で作られる高校生主体のパーティーグループも出てきました。先ほどお二人が挙げてくださった、『ストニュー!』などには、当初パーティー「チーム」として取り上げられていたんですが、雑誌に出るには、ちょっと「チーム」はイメージ的によろしくない、ということを感じて、イベントサークルと名乗りだしたグループもあるようです。このように、「チーム」ではなく「サークル」という名前になるにしたがい、リスクを恐れて「チーム」からは距離を置いていた付属高校や高偏差値校の子たちも、再び心理的な抵抗をあまり持たずに加入するようになります。この高校生サークルが、『ストニュー!』などでも取り上げられる中、高校生のサークルも流行しました。そして、高校生サークルという名称が普及し、流行するにしたがい、チームにいた人間が高校生サークルに移動することや、チームのメンバーが主体の高校生サークルも出てきます。そのような中、ケツモチをつけるグループも生まれ、「イベサー界」の中に、重なり合い混ざり合うようになります。この「イベサー界」に含まれるサークルを、「イベサー」と呼んでいたのですが、それが徐々に「サークル」と呼ばれるようになっていきました。

久保 なるほど。

荒井 ちなみに、僕は「東京」を特殊な場所だと思っていて、「東京」の特殊性は意識する必要があるかと思います。誤解を生まないように、悪いことをする若者は様々であるということを予めお伝えいたします。ただ、ざっくりとお伝えすると、他の地域だとやんちゃなこと、悪いことをしている若者の中心は、家庭の経済状況があまり豊かではなく、学歴もあまり高くはないといった、社会的な条件に恵まれていない若者や、地域社会に根付いた生き方を選択するいわゆる「ヤンキー」的な若者が多いと認識されていると思います。ですが、東京には「高学歴で裕福な家庭の若者がオシャレしてやんちゃをする」という文化が根付いているのです。先ほど『太陽の季節』を挙げましたが、他の地域で慶應や青学クラスの偏差値の人が派手な格好をして悪いことをしていたら「なんだあいつは」と思われることも、東京の都心だとわりと受け入れられる余地があります。それは、東京では高学歴の若者不良文化や、そのコミュニティが形を変えつつも脈々と続いているということが背景にあるからかもしれません。

久保 東京の良い学校に通う高校生のコミュニティ自体は、デジタルコミュニケーションが普及する前からあったのですね。奈々恵さんはどうしてサークルに入ることになったのですか?

古田 私は「ギャルサーの雰囲気を見たい」と言って、友達に「ミーティングだよー」と連れられて、センター街の「ファッキン(ファーストキッチン)」に誘われて行きました。そこで紙を渡されて住所と名前、電話番号、誓約書を書かされました。そこへ行った時点で入会からは逃れられなさそうだったので、発足してまだ1年ほどの『Angeleek』に強制的に入らされました。

久保 『Angeleek』は、会社のようにシステムがしっかりと決まっていたとか。

古田 はい。「ギャルサー」といいますと、緩くて楽しそうなイメージがあると思いますが、『Angeleek』は会社なのですよね。上下関係が本当に厳しくて、会社に入る前に社会を習っていたようなものです。一つ上の先輩からの命令は絶対で、「ノー」とは言えない。渋谷公会堂に集まっていたのですが、私の時は遅刻したら300円の罰金が課せられていました。

一同 (笑)。

古田 1分でも遅刻すると「財布出して?」と300円を徴収。お金はもちろんサークルを運営する費用に充てられます。その他にも、チャラチャラした出会いを徹底して禁止していました。キャバクラ以上のことをしたら即脱退。それくらい厳しい縦社会のコミュニティでした。

荒井 『Angeleek』は強めで激しい人たちでしたが、だいぶ厳しかったのを僕も覚えてます(笑)でも、軽くはなくって、性的な面での禁欲性があるからこそ、イケてるんです。『Angeleek』がその厳しい規律で、ブランドをきちんと守ってくださったのは、系列代表としても誇らしかったです。

→次へ

連続講座『「盛り」の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー』第1回~(1)《MORI1.0》とは?

2020/10/10  

2019年4月から6月にかけて、著書『(「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版)に沿った連続講座「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー」を、青山のスパイラルで開催しました。

講座では、「盛り」の歴史を大きく3つの期間に分け、第1回目は1990年代半ば以降の《MORI1.0》、第2回目は2000年代半ば以降の《MORI2.0》、第3回目は2010年代半ば以降の《MORI3.0》に焦点を当てました。各回では、当時を実際に体験した証言者たちをゲストに迎え、各時代の「メディア環境」と女の子たちの「盛り」文化との関係をひも解きました。ここでは、4月17日(水)に開催した第1回目の記録を、4回にわたって紹介します。
(第2回目と第3回目の記録はこちら→https://logmi.jp/events/1922

1990年代半ば以降の《MORI1.0》は「盛り」の概念が生まれた時期です。女の子たちはなぜ「盛り」を始めたのでしょうか?「盛り」の目的とは何なのでしょうか?「盛り」が普及するきっかけを作ったと考えられる、ギャルサークル「Angeleek」元代表の古田奈々恵さん、当時のギャル文化を社会学的に分析する学者であり、イベントサークル「ive.」元代表の荒井悠介さんをゲストに迎え、「盛り」の美意識に迫りました。

mori-no-biishiki-image1

■「あなたのプリ帳見せてください」

久保友香(以下、久保) 今日は「盛り」の美意識について話していきたいのですが、その前に、私が「盛り」という言葉がいつからあったのかについて調べたことから、お話します。このような女の子の流行り言葉のようなものは、雑誌から広まった可能性が高いと考え、最初にティーン雑誌を調べました。そこで、ギャル雑誌『Ranzuki』の2003年の11月号のプリクラの特集ページに、辿り着きました。当時はプリクラの撮り方のジャンルが多様化していた時で、「カップルプリ」「キスプリ」など様々ある中の一ジャンルとして、「盛りプリ」というものが載っているのを見付けました。これがおそらく雑誌の中では最初だと思い、当時『Ranzuki』編集長を務めていらした方にお話を聞きに行きました。すると「『Ranzuki』は女の子たちが使っている言葉を拾い上げて発信をしていたので、おそらくその頃すでに女の子達が使っていたのではないか」と教えてくださいました。そこで今度は、女の子たちに話を聞くことにしました。

ここで一旦、私の研究資料として欠かせない「プリ帳」についても、お話したいと思います。プリ帳というのは、プリクラのシールを貼っている手帳のことです。私は取材などで女の子に会う度に「プリ帳持ってる?」と聞いていて、できれば見せてもらっています。何故かというと、プリ帳の中には、顔写真のみならず文字も書き込まれていて、その時の流行語がわかります。プリクラはお友達と一緒に撮ることが多いので、コミュニティの構造が見えたりもします。プリ帳には、プリクラを貼るのみならず、お友達とやりとりした手紙が挟んであることも多いです。プリ帳は、雑誌などからは知ることのできない女の子達の情報が詰まった、とても貴重な研究資料なのです。

話を戻して、雑誌『Ranzuki』で「盛り」と言う言葉を見つけた2003年頃に絞り込み、その当時高校生だった方にプリ帳を見せてもらいました。その中で「盛り」が一番古く登場したのが、2003年8月頃。「盛れてる」「盛り盛り」など初めて「盛り」という言葉が、しかも3回も出てくるページがありました。この頃から広がり始めたことが予想つきました。その方に「盛り」という言葉がいつからあったかを聞くと、「サークルではすでに広まっていて、みんな結構使っていました」と応えました。しかし、同時期に高校生だった他の方にもプリ帳を見せてもらったのですが、そこには全く出てきませんでした。そこで、彼女が言った「サークル」という存在に焦点を当てました。「サークル」の中で影響力のある人が誰であったかを聞くと、「人物ではないけれど、サークルとして『Angeleek』が影響力を持っていました」と言いました。その言葉をもとに、ネットなどでリサーチをしているうち、どうしても気になる人物が浮かび上がってきました。それがこちらにいらっしゃる古田奈々恵さんだったのです。

私は直観的に奈々恵さんがキーパーソンだと思い、最初は躊躇したのですが、思い切ってSNSのダイレクトメールで「プリ帳を見せてください」とお願いをすると、快く受けてくださいました。そしてついにお会いすることができたのですが、その時、奈々恵さんがプリ帳と共に持ってきてくださったものがあり、それが「イベントパンフレット」です。ページをめくっていくと、なんと「モリプリ」という言葉を見つけました。「この『モリ』は、あの『盛り』ですか?」と聞くと、「あの『盛り』です」と奈々恵さんは応えました。発行日を見ると、2002年9月22日。編集長を務めた奈々恵さんを中心に、2002年夏頃に作られたものであるということでした。これは先程の『Ranzuki』よりも1年以上も前の話になります。奈々恵さんは「その前からあった気がします」と仰っていましたが、私が調べる限り、活字で明文化されているという点で、一番古いものでした。サークルの中でも特に影響力を持っていたという『Angeleek』が、とても早い時点に「盛り」という言葉を明文化しているという事実から、これが「盛り」という言葉が広がるきっかけになったのではないかということが予想できました。

それで、まずは「サークル」についてもっと知りたいと思いました。そこで手に入れて勉強した本が『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社)であり、その著者がここにいらっしゃる荒井悠介さんです。「サークル」というのは、学校の枠を超えた高校生や大学生のコミュニティです。こういった「若者のコミュニティ」と「盛り」には、とても深い関係性があるので、そこについてお話していきましょう。

→次へ

【ラジオ】TOKYO FM『ON THE PLANET』4月24日

2019/04/24  

東京FM「ON THE PLANET」 に出演させていただきます。ドイツ育ちの綿谷エリナさんと、日本の女の子たちの特殊な文化「盛り」についてのお話、楽しみです。

番組名:ON THE PLANET
日時:2019年4月24日 25時00分~28時00分
放送局:TOKYO FM
コーナー:ダイアローグスペース  26時20分頃〜
URL:https://park.gsj.mobi/program/show/27335

【WEB】SHIBUYA109 lab.「プリ帳HISTORY」第12回 2019年4月23日

2019/04/23   

『プリ帳HISTORY』第12回公開しました!今回のゲストは4月から美大1年生のなおさん。写ルンです、チェキ、プリクラ、スマホ、いろいろなカメラを使いこなす彼女に「他撮り風自撮り」?いや「自撮り風他撮り」?一番盛れる方法を教えてもらいました。

WEBサイト:SHIBUYA109 lab.
連載名:プリ帳HISTORY
ゲスト:なおさん
公開日:2019年4月23日
URL:https://shibuya109lab.jp/article/190423.html

【トーク・サイン会】弥生美術館「ニッポン制服百年史」4月20日

2019/04/19      

弥生美術館で開催中の「ニッポン制服百年史」において、4月20日にトークとサイン会させていただきます!

会場:弥生美術館
テーマ:ギャルファッションとメディア技術
URL:http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html

【WEB】J-WAVE NEWS 2019年4月18日

2019/04/18    

先日、J-WAVE『STEP ONE』での、サッシャさん、増井なぎささんとの「盛り」のお話の一部が記事になっています!

WEBサイト:J-WAVE NEWS
テーマ:【若者文化】“盛る”のは顔だけじゃない! 今は「シーンを盛る」のがトレンド
公開日:2019年4月18日
URL:https://www.j-wave.co.jp/blog/news/2019/04/415-2.html

【書籍】「盛り」の誕生-女の子とテクノロジーが生んだ日本美意識- 2019年4月18日

2019/04/17          

著書が完成しました!太田出版さんより4月18日発売です。『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本美意識』。

発行日: 2019年4月18日
価格:2,400円
amazon:https://amzn.to/2v0VIym

1 / 2312345...1020...最後 »

page top