日本はアイメイク先進国~つけまつげデザイン日欧比較~


日本のつけまつげが高品質なわけ

日本のドラッグストアで販売されているつけまつげが、ヨーロッパの商品よりも高品質かつ低価格を実現したのは、日本の製造業の技術力によるもの考えるだろう。しかし、それだけではないようだ。

ここまで、日本のつけまつげとして、ドラッグストアで販売されている商品に焦点を当ててきたが、実は、日本の百貨店などで販売されている、大手化粧品メーカーのつけまつげは、品質に関しても、価格に関しても、ヨーロッパの商品に近い。技術力に定評のあるメーカーの商品でもそうである。日本のドラッグストアで販売されている、高品質で低価格なつけまつげは、どちらかといえば、それらの商品に特化した、大規模とはいえない企業が生産するものだ。

私は、前述した、日本で初めてつけまつげ商品を生産したコージー本舗で、営業本部営業促進部広報担当係長の玉置未来氏を訪ねた。

「コージー本舗から日本で最初につけまつげ商品が生産されたのは、1947年にさかのぼります。創業者小林幸司は、戦後アメリカ進駐軍が駐留するようになったのを見て、日本人も立体的な顔に憧れるようになるだろうと考え、つけまつげの生産をすることを考えついたようです。すでに浅草でショーに出る踊り子さんたちが、自分たちの髪の毛を切って、繋いで、つけまつげを手作りしているという噂を聞いて、最初、踊り子さんたちに話を聞きながら作ったそうです。実は、小林幸司があとからわかったことのようですが、戦前からすでに歌手の淡谷のり子さんがアメリカで生産されていたつけまつげを手に入れて使っていたそうです。」

つけまつげは、日本で生産する前から海外に存在し、日本には遅れてやってきたことになる。しかし現在、日本のつけまつげがヨーロッパのものよりも優れているということは、その後大きく発展を遂げたことになる。どのような過程があったのだろうか。コージー本舗が65年以上に渡って生産してきたつけまつげの変遷についてお話を聞いた。

「つけまつげは戦後直後から生産していますが、長い間、よく売れるということはありませんでした。つけまつげはずっと、特別な人や、特別な日に、使われるだけのものでした。1970年前後に一瞬のブームがあったものの、すぐに元に戻りました。しかし1995年頃から状態が変わり、若い女性たちのとくに「ギャル」と呼ばれる女の子たちが、日常的に使うようになりました。そして2006年頃からは、一般の、広い年齢層の女性たちが、日常のアイメイクの一部として使うようになりました。売上が急激に伸びました。」

しかしこの頃の商品写真を見ると、コージー本舗の商品でも、現在ヨーロッパで販売されているようなつけまつげと、あまり大きく変わらないように見える。

「最初のつけまつげは、人工のまつげが軸からまっすぐ伸びる形でしたが、広い層の女性が使うようになり、女性たちができるだけ自然にボリュームを持たせることを目指すのに合わせて、根元で枝分かれさせる形や、クロスさせる形、毛先をギザギザさせる形などを作ってきました。2007年頃から、若い女性たちが、商品をそのまま使わず、切り刻んで複数商品を組み合わせるなどカスタマイズするようになりました。それを見て、2009年に発売した『Dolly Wink』というシリーズでは、まるで既製品を切り刻んで組み合わせたようなデザインの商品をつくりました。」

 

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日本のつけまつげに特有の、不規則で複雑なデザインは、女子高生たちの行動を吸い上げて、生まれたものだったのだ。ところで女の子達はなぜ、カスタマイズするようになったのか。

「“黒目がちに見せたい”“横幅を広げたい”など、それぞれなりたい形があって、それを自分の目に合わせて作ることができるからだと思います。自分の目に合わせることによって、自然に見せるようにもなります。実際の人間のまつげは規則的ではないので、複数を組み合わせた方が、それに近づくということもあります。友人とちょっと差をつけたいということのもあると思います。」

私は、つけまつげを毎日カスタマイズして使っているという女の子に、実際に話を聞いてみた。彼女は「自分らしくありたい」という言葉を繰り返した。女の子たちの顔は、化粧をしてつけまつげをつけると、大人から見れば、一見、均一化するように見える。つけまつげは、一見、個性を消す道具のようにも見える。しかしそのつけまつげを使って、彼女たちは、大人にはわかりづらい、小さな「自分らしさ」「個性」を表現していることがわかる。

 

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そのような、女の子たちの複雑な女心を、企業が観察し、商品に変えていった結果、日本のつけまつげは世界で類を見ない進化を遂げたことがわかる。


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